ロンドンカウンセリングコースの先輩である、
三田純さんが、
私の感情解放セラピー体験セッションを受けて下さいました。
(三田さんとは、一緒に、泣きながら8月末、
優しく厳しいゆかコーチの元で、マーケティングを勉強しました^^)
三田さんに限らず、
ロンドンコースの先輩にセラピーをやらせて頂く時
毎回、
感動的なまでにハートがオープン!!!と感じます。
セラピストを信頼し、
無防備であること、
それは自分自身を信頼し、
自分の心に正直である事と、イコールだなぁと。
やはり、プロのセラピストは、
「プロ・クライアント」(←もう商標登録したい。笑)
でもあるのだと感じます。
私は、「プロ・クライアント」としては免許皆伝なので、
(`・ω・´)キリッ。
ゆかさんがコーチに言われた言葉
「ゆか、君は素晴らしい生徒だ。
アウトスタンディング(素晴らしい)なコーチになる前に、
アウトスタンディングな生徒になるのが先だよ。」
その言葉が、今となっては本当に素晴らしいコーチである、
ゆかさんを通り過ぎて、今、
私をも、勇気づけています♡
私も、私がもらった愛や感動を、
次の誰かに伝えていこう♪
では、三田さんの体験談を、ご紹介します^^
(以下、↑からのコピペです)
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私が受けたセッションの体験談をここに書かせてもらいます。
テーマは、自己価値が低く、特にパソコンに向かうと身体が緊張して縮んでしまう。
パソコン嫌い。パソコンの仕組みが分からないので、仕事で使わないわけにいかないけど、あまり近寄りたくない存在でして、、。
で、ここにくっついているのが、私の無力感。
言葉にすると、
「どうせ私にはできないもん。」
となります。
ちえさん「『どうせ私にはできないもん』
この無力感を最初に感じたのはいつですか?」
の質問に、
心を鎮め、感じてみます。
いつだろう、、?この感覚、、。
すーっと浮かび上がったのが、中学後半から勉強などが手につかなくなった、あの時期です。
もっと詳しく言うと中学1年生の時、
転地療養のため転校してこられた一年年上の人の死を目の当たりにした時です。
夏になると、私の住んでいた田舎の学校は、川開きの日がありました。
今日からこの川では泳いでもよろしい、って訳です。
忘れもしない、7月2日の川開きの日、その方が、私達の泳いでいる川に友達と遊びに来ました。
泳げなかったらしく浮き輪を着けて。
その日は川上で工事をしていた為、いつも川底まで綺麗に澄み渡っている水が、泥で濁っていました。
私は、泥川に入ることに少し躊躇した覚えはありますが、夏になって初めて川に入れることの喜びの方が勝っていました。入ってしまえば土色に濁った川も、また意外に新鮮な感覚でした。
ふと、周りを見渡したら、一人数が足りません。
その初めて遊びに来た方の姿が見当たらないのです。
皆で探しましたが、ヤッパリいません。溺れたのかもしれないということで、川上で工事をしていた大人の男性を力一杯の声で、皆で呼びました。
しばらくすると、こちらの異変に気付き、大人の男性が何人か来てくれました。
説明をすると、最後に見た場所に潜り、手探りで探してくれました。
何度か挑戦して、何かが手に触った。「この下にいる。」という声に合わせて、二人の男性が潜り、引き上げてくれました。
私達は、ホッとすると同時に、誰も声一つ出さずに、大人の話と水を吐かせる光景を見守っていました。
色々処置をした後、
河原の草叢に仰向けに寝かされたその方は、一度だけ目を開け、また閉じました。
心臓はもう止まっているはずなのに、、、。
皆が口々にその方の名前を呼びました。でも、引き上げるのが遅すぎたのでしょう。
それがお別れの合図のように見えました。
1時間か、それ以上たったころ、村に一件ある診療所の医者がやって来ました。(どんだけ、遅いんだ、、。)
死亡をつげるために、、、。
その後は、学校の先生方が何人かみえました。
その後、私達は「君たちはもう帰りなさい」の先生の声に従って、
散り散りに帰って行きました。
話す言葉もなくうつむいた誰もの後ろ姿は、無力感に打ちひしがれていました。
思春期の私たちにとって、この出来事は大きな衝撃でした。
死をどう捉えてよいのか分からず、何かが止まってしまいました。
亡くなった彼女の身体と分離した魂がまだどこかにいる様で、夜は、眠りにつけません。
怖くて怖くてたまらないので、両親の間にはさまって眠るのですが、その方が来て魂だけ引き抜かれそうで、身体がそばにいることの無意味さを感じていました。
さて、セッションで私はマトリックスの世界で、その頃の自分自身に会いに行きました。
マトリックス・リインプリンティング(MR)では、過去の自分自身をエコーと呼びます。
エコーの私に話し掛け、その時の感情を聞こうとしたのですが、
下を向いて身動ぎ一つしません。
フリーズしている感じです。
ここに来て初めて、当時の私がこんなにもショックを受けていたことに気付いたのです。
それを知った私自身、もの凄くショックでした。
だって、あれだけご供養したのに。
どうして?
随分色々なことをやり癒したつもりでした。
が、よくよく考えてみると、初めて貰った給料の半分以上をつぎ込んでお寺で供養をしてもらったり、毎年の命日に、果物やお菓子、お花をお供えして私なりに祈っていましたが、私自身の心は置き去りにしたままだったことに気がつきました。
相手は癒しても、自分自身を癒していなかったのです。
エコーの気持ちを受け止める為に、どんな気持ちなのか聞いてみました。
先ず、生きること、死ぬことがどういうことなのか掴めず、随分と悩んでいました。
さっきまで、動いて話していた人の身体が、次の瞬間には動かなくなるのです。
先ずエコーを抱きしめて、フリーズを解きました。涙が流れます。
「悲しい」「悲しい」とタッピングをしながら癒した後、落ち着きを取り戻したエコーに、何をしたいのかを尋ねました。
すると、亡くなった彼女が横たえられている所に行きました。
亡くなった はずの彼女がムクッと起き上がりました。(怖くないです)
一緒に座って、川を見ながら話し始めました。
エコーは、「ごめんね、早く見つけてあげられなくて。」と謝っていました。謝りたかった様です。
誰が悪い訳でもないことなのですが、自分でもどうしようもないと分かっていながら、ヤッパリどこかで無力な自分を責めていた様です。
謝ってホッとしていると、
「かえって心配をかけてしまったね。」と彼女。
へー、そうなんだ。
そうくるのかー。
今の私は妙に冷静に二人を眺めていました。
河原に座って、彼女を呑み込んだ川を見ながら、悲しさも罪悪感もなくなって、エコーの私と彼女は静かに座っています。
そうしているうちに、亡くなったはずの彼女が、どんどん生き生きとしてきました。もう死んでないから大丈夫!そんな感じです。
しばらくして、じゃあまた、という感じで二人は分かれ、私はこちらに戻ってきました。
マトリックス・リインプリンテイングの素晴らしいところは、誰かにあなたは~ですよ、と説明してもらうことなく、自分で体感できることです。
そのとき、自分はどうありたかったのか、そのときの自分自身が満足出来る様に振る舞い、それを体感出来ること、それと共に感情も変わり、私の中での事実も書き変わってしまいます。
今回気づいたこと
①自分ではもう終わったこと、と思っていても、マトリックスでそこにいってエネルギーを感じてみない限り分からないということです。
私の場合、45年前に起こったエネルギーは、何十年もかけて癒したつもりだったのに、今だ残っていました。
②自分を癒すことがいかに大切かということ。
死亡した方のことは、何年間も供養を続けますが、残された人の心を癒しているか。
死は、亡くなった人よりも残された人に試練を与える、という様な言葉を聞いたことがありますが、
正にそのとおりで、残された人の心のケアが如何に大切かを実感しました。
やっぱり大切なのは、自分癒しですね。
そのとき、一緒に手伝ってくれるセラピストの方がいてくれると、本当に安心します。
今回も、ちえさんの存在はとてもありがたかったです。
これからも私自身、コツコツと自分癒やしをしていきたいと感じています。
パソコンの前に座った時の無力感がこれからどう変化するか楽しみです。
とりあえず、現段階での緊張感、出来ない感は、薄っすらと減りつつあります。
ちえさん、有難うございました。
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読んでいるだけで、あの素晴らしい時間を思い出し、ハートに刺激がくる感覚です。。。。
三田さん、ありがとうございました。