「次のステージ」っていう言葉がキライだった

次のステージ

「次のステージ」っていう言葉がなんかイヤでした。

次のステージに行きます、とか
次のステージが始まったみたいです、とかさ

そこに行けない自分を
なぜか見下されているような気がして
(※はい、勝手な被害妄想です※)
だからその単語ごとキライでした。笑

でも最近
やっとやっとわかった事があって。
(これもまた変わるかもしれませんが)

つまり、私の「次のステージ」が始まったんですよ。笑

でも、思ってたのとは違ったんです。
「前のステージ」を見下す気持ちには、とてもならないから。
あれ、違ったんだ、って感じですね。

最初は寝てるだけだった0歳の赤ちゃんが
1歳になって、歩くようになった時

「わぁ、歩くようになった!」
「次のステージに行ったね!」
と誰かが言ったとして、

それは別に、
0歳の赤ちゃんを見下すという事にはならない。

だって0歳には0歳にしか放てない
素晴らしい輝きがあるでしょ?

2歳、3歳になって
喋れるようになった時も

ある意味で、「次のステージ」に行ってるよね。

でも別に
まだ喋れない赤ちゃんを
世界が見下しているワケじゃないです。笑

ただ成長のプロセスとして、たまたま、今は「別の場所」に居るだけ。

「前のステージ」の場所の方が劣っているわけでもなく、
「次のステージ」の場所が、秀でているわけでもなかった。

ただ別の場所に居るだけです。

でもそれも全部、周りの人のおかげなんだけどね。

「一個前のステージ」に居る自分って
どこか、自分でさえも卑下していた自分なのに

「素晴らしいよね」
「がんばってるね」
「すごい事してるんだよ」
「応援してるよ」

そんなわたしの「美しい」所を切り取って、言葉にして
見せてくれる優しい人が居たからです。

だから私も、目の前の人の美しさを信じる事が出来る。

泣くほど豊かに与えてもらったものは、
溢れていって、自然に広がって、

いつか君にも届くだろう。

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