「私」をやめる

 

「私」をやめる 
「私でいる事」をやめる…
 
  

その瞬間 
デフォルトで背負っていた肩の荷が 
ドサーッと落ちていく。
  
 

そして同時に 
「私(というアイデンティティ)を 
手放してなるものか」
という執着と
「怖さ」がやって来る。
自我のしがみ付きみたいな恐れが。
 
 
私達は本当は知っている。
 
 

「私(というアイデンティティ)」が、 
ただ自我がしがみ付き 
握りしめている 
ある種の妄想に過ぎない事を。
  
  

「私」と
「私の人生」という 
掛け替えのない大切なストーリーは  
 
 
本当はこの 
自我の「しがみつき」が 
あっても
なくても 
自然に起こってくるものである事を 
知っている。

 
「本当の事」は
本当はみんな携えている。


真実から離れる事など出来ないのだから。
  

 
写真は先週末の美しい目白庭園の風景。

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