「心のエステ」カテゴリーアーカイブ
返信
私にとって
今のお仕事(心理セラピスト)は、
ラクな仕事ではないです、
ラクな仕事ではないけど、笑
喜びでもある。
全員に必ず予め備わっている
生命の光の無限のパワフルさ
無条件の愛
静けさ
何にも縛られていない
自由を
少しずつ
思い出して
取り戻してもらうのが
私のお仕事。
エゴはいつも不安ベースで
○○しないとダメ
○○じゃない自分はダメ
○○が無い私はダメ
と、
足りないものばかり数えるけど
それはまったくの嘘で
何の根拠もない。
何も持たなくて良い
すべては揃ってる
私たちは大丈夫。
その事を
魂が思いだすように祈ること。
そして、一生、思い出せなくても
問題ない事を知っていること。
つまり
愛で居ることが、お仕事です。
(これはでも、
地球人全員のお仕事かもしれない)
何度も、何度でも
わたしたちは
私たちは簡単に傷ついてしまう。
身体としては
何年生きていても
心は柔らかく子どものままだ。
目を逸らされたら不安になり
罵られたら悲しく怒りが湧く。
何歳になっても
いとも簡単に傷ついてしまう。
それが過去の痛みに紐付く傷なら
古傷ごと疼き
「私は大事にされる存在ではない」
というビリーフが太く硬く育っていく。
傷つくのは一瞬で
癒すのには時間がかかる。
不安になるのは一瞬で出来る。
安心感を取り戻すのにはその何倍もかかる。
こんなに効率の悪い柔な心を持って
どうして生きていかなければならないのか
こんなに面倒くさい
捻くれた
頑固なインナーチャイルドと
いつまで共に居なければいけないのか。
愛を学ぼうとしているんだと思う。
どこまで傷ついても
愛が見放したりしない事を
人生をかけて試しているのだと思う。
あらわれ方が違うだけ
誰だって、
happyで、軽やかで、爽やかで、優しい、
余裕のある人が好きだよね。
それはそれで当たり前だし
それで良い。
けど、
わたしはもう…
重たくて泥々で、
怒りや哀しみでいっぱいの時も、
絶望の中で100%孤独な時にも
等しく本当のあなたは光だということを
私はそれを知っているんだよ。
どうしようもなく知っている。
だから私はもう
ネガティヴを
本当の意味では、嫌がったり出来ない。
(勿論、反射的に嫌がる事は普通の反応としてあるけど)
愛しかない。
孤独や絶望や
怒りもすべて
愛を求めている声だ。
本当の私はこれじゃないって
元の姿に戻りたいって
訴えている声だ。
現れ方の違いだけだ。
知ってしまったから。
優しく出来ない時こそ
色とりどりの夢
自分らしさってナニ?
自分らしさって何?
どうやって出してったら良いの?
いやその前にね
「自分らしさ」が抑えられてしまってる事の方が
「自分らしさ」が抑えられてしまってる事の方が
「なんか変だよね」と思ってみよう。
嫌われないように、
怒られないように、
バカにされないように、
仲間外れにならないように、
より有利な状態で生きていけるように…
恐れや不安MAXからの原動力で行動してる時は、
自分らしさが損なわれてる。
もし、この不安や恐れが無かったら、
自分は今どうしたいだろう?と観察してみよう。
不安や恐れをゼロにしろ!と言ってる訳じゃなくて、
(そんなの無理だから)
ちょっとだけ
「不安や恐れが無い自分」
「不安や恐れを横に置いてる軽やかな自分」を想像してみる。
今ここに
怖い気持ちや
不安な気持ちがなかったら…
どんな選択をするかな?
どんな行動をするかな?
周りに居る人が
みんなあなたの味方で
あなたが何を言っても何をやっても
「それで良いんじゃない?」
って言ってくれる人だとしたら
みんなあなたの味方で
あなたが何を言っても何をやっても
「それで良いんじゃない?」
って言ってくれる人だとしたら
どうしたい?
何したい?
そっちがホントの自分らしさだったりするよ。
いつも一番大切な事
うっすらと陥っている悪夢
うっすらと全員が陥っている
悪夢から目覚めよう。
この肉体を守って
生き延びなくてはいけない…
なるべく
有利な条件を手に入れて
なるべく
長く
快適に
生き延びなくてはいけない…
この
愛すべき、肉体という幻の夢たち。
そして、
「私の存在価値」
価値を守って
高めて
愛されたり
受け入れられたり
賞賛されるような
「私の存在価値」を
守って…
価値が高まるように努力したり
他の人と競って勝てるように
磨き上げたりしなくてはいけない…
私たちはいつの間にか
そう思い込まされている。
本当は
肉体そのものではなく
本当は
時代がジャッジした「価値」ではない私たち。
この世界は
とても巧妙な
Open secretだ。
全員がもれなく陥っている
人生を有利にサバイバルしなくていけない
という
悪夢から目覚めよう。
生きていく怖さは、本当にリアルで
怖いね。
死ぬほど怖い。
だから騙されないようにね。
自我が仕掛ける悪夢に酔うのは簡単だ。
だけどそれは本当の事から遠ざかる。
「私」をやめる
「私」をやめる
「私でいる事」をやめる…
その瞬間
デフォルトで背負っていた肩の荷が
ドサーッと落ちていく。
そして同時に
「私(というアイデンティティ)を
手放してなるものか」
という執着と
「怖さ」がやって来る。
自我のしがみ付きみたいな恐れが。
私達は本当は知っている。
「私(というアイデンティティ)」が、
ただ自我がしがみ付き
握りしめている
ある種の妄想に過ぎない事を。
「私」と
「私の人生」という
掛け替えのない大切なストーリーは
本当はこの
自我の「しがみつき」が
あっても
なくても
自然に起こってくるものである事を
知っている。
「本当の事」は
本当はみんな携えている。
真実から離れる事など出来ないのだから。
写真は先週末の美しい目白庭園の風景。