「人は自分の鏡」…とは限らない

【嫌いな人が居るのは…2つの理由がある】
  


紫陽花の季節ですね♪
 

さて 
心理学をかじった事がある人なら
舐めた程度の人でも 
 
 
「相手は自分の鏡」理論みたいなの 
聞いたことありますよね?
 
 
嫌いな人は 
自分の内側の何かを映し出していて 
自分を癒せば 
その人は嫌いじゃなくなる!論ね
 

これね
正しい時もあるんですけど 
(だから厄介なんだけど…)
 
 
毎回毎回 
全部が全部「これ理論」じゃない
ですからね?
 

だってこれ理論(相手は自分の鏡)だと 
  
 

私自身にどんな「被害」があっても 
私の癒されてない内面が原因(悪い 
みたいになりますよね?汗


超雑に言うと 
突然道端で変な人に殴られた!
ムカつく!
こんな事する人は嫌い!
 

→それはあなたが 
自分自身の内側にある 
暴力性を癒してないのでは?
    
 

みたいな…汗汗汗汗
 
 
いやいや
そんな無茶な!!!
 
 
叩いてくる人は 
ストレートに嫌って良いよ…
 
 
むしろそういう人を好きになっちゃうなら
その方がヤバいだろーーー
(幼少期にDV受けてたから 
毎回気づいたら 
暴力暴言のある人と付き合っちゃうみたいな 
悪循環だよ)
 
 
 
ただ 
相手は自分に何も害を与えてないのに 
(例:たまーに会って少し話すだけの他人とか
挨拶するだけの近所の人とか 
画面の向こうの芸能人など)


「あいつ大っ嫌い!!許せない!!」
と思うなら、 
そこは、はい 
自分の内面を見ていく所です


でも
相手が明らかに変な人 
害を与えてくる人なら 
自分のせいじゃないです
相手に問題があるんだよ
 

もう、そんな人とは
距離を取れば良いんだよ…


(物理的に距離を取るのが 
どーーーーーーーしても難しかったら 
心の距離を取るだけでも 
少しマシになります! 
経験談^^)
 
 
 
育った環境の影響で 
何か嫌なことがあると 
自分を責めがちな人に 
(私もそうですよ~~)
 
 
嫌いな人が居るからって 
それが 
あなたの責任とは限らないよ…?
 
 
と、声を大にして伝えたいです
 
 
 
大嫌いな人でも
「どこか遠くで 
楽しく元気に過ごしてくれたら良い」
(なんなら幸せを祈っちゃう)


なら、
もうそれは 
あなたの内面の責任じゃないですよね
相手が変な(近づくと害のある)人ですよね
 
  
でも、もし
「自分に何も被害がなくても 
どこか遠くでも 
アイツが元気に幸せにしてるなんて
許せない!」
なら、

 
アイツじゃなくて 
自分を癒した方が良い。
 
 
 
どう見ても 
どう考えても 
アイツが悪いとしか思えないなら
 
癒すって簡単ではないけれど 
 
 
でも、出来ますからね。。。 
時間はかかるけど、 
不可能ではないからね! 
 

感情のセルフケア

 
 
マイナスの感情に苦しめられている時って 
 
多くの人が 
・我慢する
・平気なフリをする
・(負の感情の原因の)相手を攻撃する 

などの行動を取りますが 

だいたいね
我慢してもダメですね(経験談) 

あとで爆発する地雷を 
せっせと
埋め込んでるようなもんですよ 

平気なフリをする 
(見ないフリ
そんな負の感情などないつもり) 

これも、残念ながらダメです 

こういう 
自分の感情を無視するような事をしてると 
 
だんだん 
喜びやら 
幸せやら
楽しいなども 
分からなくなっていきます!(経験談) 

「原因となった相手を攻撃する」
これも殆どの場合
単なる八つ当たりです
 
いやいやアイツが悪い!
だって○○したから!
○○しなかったから! 

など、自分としては 
相手に原因があるって 
深~く信じちゃってるんだけど
 
実際には、相手の言動は 
単なる刺激、キッカケ、トリガーに過ぎないんです
 
自分の内側に地雷があって 
それを刺激されただけなんです 

 
だいたいね、
もし万が一、相手にホントにホントに原因があるとして
 
相手を  
「私の地雷を刺激しない言動をする人に変える」
とか
「自分にとって理想の人に変える」 
とか 
無理なわけじゃん?
  

 
だから自分の感情は 
自分でケアしてあげましょう  
 


小さい子どもなら 
母親がなだめてくれたかもしれないね  

(なだめて貰った事など 
ないかもしれないですね
なだめて貰った事がない元・子どもほど 
自分の感情のセルフケアが苦手です!経験談。笑) 
 

我々はもう大人だから 
 
無条件の愛情をくれる母親という 
偶像を求めるのはもう卒業して
 
自分で
自分の
感情、感覚、気持ち、を 
丁寧に
なだめてあげる必要がある
 
それは 
小さい頃なだめてもらえなかった自分を
本当の意味で救う事です
 
 

【完璧】を目指すのを辞める

【完璧を目指すのをやめよう】
 
「普通でいいのに」
と言いながら
 
無意識のうちに 
多くの人が 
「完璧」を目指してる 

それはでも 
無意識のうちに
目指してるのは
「普通」じゃなくて 
「ほぼ完璧」なんだよね 
 
 
「普通でいい」の
普通のランクが高いんだよね 

親にも 
 
親戚にも 
 
友人にも 
 
会社の人にも 
 
夫の実家にも 
 
夫の職場の人にも 
 
知り合いにも 
 
世間の人にも 
 
なんなら
世界中のどこの 
誰から見ても 
「うん、そうだね、普通に良い感じだね」 
と思われるくらいの
「普通」を目指してるんだよね  

もちろん
無意識のうちに。 
 
 
だから、無意識に目指しちゃってるから 
まさか自分が完璧を目指してるなんて 
自分でも気づいてない 
 
だけど 
誰が見ても、どこから見ても 
「うん、良いね」を目指してるなら 
それはもう完璧を目指しちゃってるんだよね 
 
皆さん
ハードルは低く、低く、 
生きてるだけで凄いんだ!!!!
ぐらいでいきましょーーー(大真面目に言ってます) 

 
 

 
 
 

いつもよりもう少しだけ

【自分に優しくしてみよう】  

いつもよりちょっと多めに 
自分に優しくしてみよう 
 
いつもよりちょっと甘めに 
自己評価をしてみよう 
 
いつもよりちょっと 
自分を可愛がってあげて欲しい  

ちょっとで良いから 
いつもより自分を
良い気分にさせてあげよう 

……と、思ってふと振り返ってみると 
 
案外まだまだ私も  
「まぁ私にはこの程度で良いでしょう」 
を、やっている事に気づく 
 
「私はこのぐらいで我慢しておくべきでしょう」
を、やっている事に気づく 
 
もっともっと 
最高に… 

と一足飛びがもし難しい場合は
(慣れてないと難しいです)  
 
あとほんの少しでも良いから 
あと3秒でも良いから 
あと一ミリでも良いから  

「あー幸せー」とか 
 
「あー気持ちいいー」とか 
 
「あーこれ美味しいー」とか 
 
「あーこれ好きだなー」とか 
 
そんな瞬間を増やしていこう
 
私は私に優しくしてあげる 
私は私に
あなたはあなたに 
それで良いんだ 
 
何度でも、意味がなくても、分からなくても。 
 
 
 

立派な人にはなれない

【諦めた方が良い …かは分からんです!けど 
諦めた方が断然、ラクではある】
 
 
私はですね 
最近はもう 
立派な人になる事は諦めてます
 
素晴らしい人になる事は諦めている 
 
 
いわゆる 
「1日中、なんもせず 
ダラダラ過ごしちゃった」  
とか 
「オヤツ食べ過ぎて太っちゃった…」
とか 

そういう
他人様から 
ともすればバカにされそうな
あんまり良くないよと 
たしなめられそうな事をしていても
 
 
自分を酷く責めるのは 
もう辞めてます
(ダラダラ過ごす日もあるよ)
(食べすぎる日もある)
  

そもそも私は多分 
そんな立派な人間じゃないから
 
こんな日もあるって事を 
もうサッパリ認めて  

 

「なるべく毎日を充実して 
運動して 
家事をして
仕事もして 
家族や 
友人 
多くの人とコミュニケーションを取って 
生産的に過ごすべきだし   
 
 
(恋愛や育児や家族計画、
人生計画なども 
しっかりと考えて進めるべきだし)
 
効率的な休息も取って   
満ち足りた 
平安な 
空っぽな時間も持つべきだし
その一方で 
趣味や好きな事などにも精を出して
人生を豊かに過ごすべきだし
そうしてる人が偉いのだし 
そこに向かって努力すべきだ」

 

という事に関しては
もーー 
書いてるだけで疲れちゃいそうなので 
諦めています 
 
 
立派な人になるために 
満足できる人生のために 
愛する人に愛されるために 
豊かでヘルシーで 
満ち足りた生活のために  
未来の子ども達の為に 
この美しい地球を守る為に
 
 
頑張る人の事は素直に尊敬してるけど 
 
どうやら 
あんまり誇れる事でもないけど
私はそんなに立派な人間ではないようだ 
 
 
とりあえず私は 
まずは私個人を赦し愛することが大切で 
 
その後、 
自分が満たされてから 
やっと 
周りの人に愛を配るタイプなのだと思う


この順番間違えると 
周りを恨む事になるから 
そこはお気をつけくださいませ…  

 
周りの人より自分が 
劣ってるように思えても 
OKだよ 
案外気にしてるのは自分だけ 

あらゆる解釈を見つめる

すべてをあきらめるって事は 
全部手放すって事は 
愛してない訳ではないよ 

「私」という小さな1人の個人を 
思いっきり越えて見た時に  
 
「私」は何よりも何よりも 
健気で愛おしい存在となる
 
すべてを手放して 
あきらめて 
全部幻だったと見抜いた時に 
 
その幻が 
何よりもかけがえのない 
尊い光の雫だったと分かる 
 
 
自分という物語を癒す 
という事は  
自分という物語を手放す事だ
 
 
自分が自分にかけた 
呪いや誤解をほどいて
真実に近づいていく事だ
 
真実はいつもフラットで 
ある意味 
淡々としていて 
 
個人の視点で見たら 
面白くないかもしれないね 
 
 
決して 
私個人にとって 
都合の良い解釈ではないし
 
特定の誰かにとって 
都合の良い解釈でもなくて
 
そのすべての枠組みを放って 
手放してみて 
 
そうしたら全部が
光の粒のダンスだと分かる 
  

 
私たちはみんな 
全員が夢を見ながら 
ほんとうのことは
なんにも分からないまま
 
ただ 
あたたかい 
光の波間に漂っているだけだ

2024年がはじまりました

 
↑ 
先日の日比谷公園の噴水。めちゃくちゃ晴れて気分も最高でした♪ 
 
1月2日に書いたFBより転載。

地震やら
火災や事故やら事故やら 
続いておりますね。 

屋根があること  
 
電気が通ってること
 
美味しいご飯を食べること
 
あったかいシャワー浴びること 
 
自分の部屋で眠ること 
 
家族が生きていること
 
その全てが 
決して当たり前ではないと 
なかなか久しぶりに(?)
痛感させられる世情です。
 
いつ自分に 
何が起こるかは 
誰にもわからない…
 
明日のことは 
誰にもわからない。
 
それは良いんです 
分からない事は 
自然な事ですから。
 
ラッキーや 
良いことがあった時 
日頃の行いが良いんだと 
ちゃっかり思うタイプの私です。
 
だけど 
何かアクシデントが起きた時 
(ほぼ自業自得なのは別として)
 
予想してない事故や 
天災があった時 
 
自分のネガティブな何かが 
これを引き寄せたんだとか
アホofアホみたいな事は 
決して考えないでください。
 
そして
なんて不運なんだとか 
何も悪いことしてないのに 
無力な被害者になったとかも 
出来れば 
あんまり思って欲しくないんです。
 
いや 
無理かな?
(自分で想像したら無理だった)
 
いったんトコトン落ち込んで 
飽きるまでは 
ドップリ被害者意識だろうなと思います。
 
それもまたオツなものだけど、
 
ずーっとそこに居ることは 
お勧めしないです。
 
だってあなたには 
本当は力があるからです。
 
助けを求める力があるからです
 
自分を助ける力があるからです
 
誰かと気持ちをシェアする力が 
 
慰め合い 
再び立ち上がる力が
  
そのことが 
また誰かの力になるという力が
 
本当はあるけど 
一瞬だけ
見えなくなっているだけだからです。
 
こんな大きな出来事には
人類の集合意識に 
深く広く横たわる 
無力な被害者感に 
引きずられそうになる…それもよく理解できます。
 
 
だけど 
私は大丈夫なので。
 
私は私のやるべき事をします。
 
 
多分これ読んでるあなたも
きっと大丈夫なので。
 
美味しいもの食べて 
 
要らないモノ捨てて 
 
お家を掃除して 
 
ぐっすり眠れますように。
 

↑こちら2年前の動画ですが再掲。
ドキドキした、怖かった、そんな体験の後にやると良い事を紹介しています。

1、自分の状態を観察してあげる

2、その状態を責めないで受け入れる

3、1人で抱えようとしない(だって我々は哺乳類だから)

4、何かワークをする(動画ではタッピングを紹介していますが 
自律神経が落ち着くワークなら何でも良いと思います)

 

 

心の視力を鍛えている

昨日は、BYC(ブリッジングイヤーコース)の講座で、 
パーツの癒しについて深めていきました。 
 
私が心理セラピストとして個人的に思う事ですが 
「癒しの本質は変わらない」と、よく思います。 
 
色々な手法や、スキル、知識を学び、深め、 
アップデートさせていく事もめっちゃ大切ですが 
 
心がほぐれていく時 
痛みがゆるんでいく時 
固まっていた傷が溶けていく時 
 
その時に必要なものは、いつも同じだと感じています。 
 
つまり 
 
無条件の愛 
理解 
受容 
認知 
忍耐 
 
そして自由(制限の解除) 
   
あとは…(まだあるんか) 
心の内側の繊細な場所を見つめる時の視力かなと思います。 
 
なぜなら、 
なんか苦しい、 
これはきっと心の傷だ、 
トラウマだろうな、とか 
癒したい…と、いくら思っていても 
 
癒す傷(インナーチャイルドと言っても大きく間違いじゃないかな)を 
「見つける」「気づく」事が出来ないと 
なかなか癒しが進まないからです。 
 
そんな「心の内側を見る視力」を 
鍛えて鍛えて 
鍛えまくっている(自己ワークや他者へのワーク含め)のが 
職業人としての 
心理セラピストなのかもしれないですね。 

(多分、普通の人から見たら変態の領域) 

 

ちゃんとしなくて良いよ

 
(紅葉が好きです)

みんな、何となく心のどこかで
 
自分以外の大人はみんな 
 
「もっとちゃんとしてる」 
「もっとしっかりしてる」
 
と思ってるんでしょう?
 
1ミリもそんな事ないから! 
(私を含めて、ちゃんとしてない人いっぱい居ます~) 
 
ご安心ください!
 
1枚皮をめくれば底なしの 
トンデモ案件はそこら中に転がっています 
上を見ても下を見てもキリがないよ! 
 

あなたの内側にいる沢山の子ども

今日はBYCの講座でした♪ 

(ブリッジングイヤーコース Bridging Year Course
セラピスト未満からセラピストへ橋渡しをする一年間コース)
 
前回に引き続き 
内的家族療法の 
「パーツ」の観点について 
学んでいきます。 
 

想像してみてください。 

誰もが、たくさんの 
「色んな思いを抱えた子ども」 
を、心の内側に置いています。 
(インナーチャイルドと呼んでも良いかも)
 
普段、 
まぁまぁ優しくて、 
それなりに理性的で、 
大人として生きてる
あなたの内側にも
 
・思い通りにいかないとすぐ拗ねる子
 
・なんでも悪い方に考える不安な子
 
・キレやすい不良みたいな子
 
・理不尽でワガママな子
 
・傷つきやすくて心を閉ざしてる子
 
などなど
などなどなどなどなど…
 
多分、想像してる以上の 
大勢の子たちが居ます。 

(もちろん、「理性的な子」も居るでしょう)
(子どもと書きましたが、 
中には大人の人:パーツ:も居るかもしれません^^) 
 
その沢山の子どもたちは 
あなたの内側で 
どのように「居る」でしょうか? 

安全や安心を携えているだろうか? 
 
ニコニコして 
(あるいは思いっきり泣いて)
 
純粋な喜怒哀楽の表現者として 
そこに居るだろうか?
 
 
それとも…
 
もし
不安や恐れに怯えてる子が居たなら
なんて声を掛けてあげるべきでしょうか…
 
いいえ
もしかしたら
 
まだ、声は掛けないべきでしょうか?
 
私は 
私の内側の子どもたちに 
出来る限りの 
大きな愛をあげたい、と思うし 

もし 
大いなる自分(セルフ)からの 
無条件の愛が、届かない時があっても  
 
届かない日々が 
何年続いたとしても 
 
内なる自分からの 
無条件の愛の眼差しがある事を 
忘れないで欲しいなと思う。