【癒そうとするのをやめた時、癒しが始まるパラドックス】
身体を怪我した時と同じように
心に傷がある時も、痛いから→癒そう、とするのは極々普通の事。
だけどその時に陥るパラドックスがある。
「癒そうとする」行為そのものが
「痛みをなくそう」「痛みを消そう」という動機だと(気持ちは痛いほど分かりますが)上手くいかない。
なぜなら、心の傷が疼く時っていうのは、心の中で小さな子供(自分)が泣いている時だから。
「やめて」「それは嫌だ」「怖い」「悲しい」「寂しい」って言って泣いている子供を想像して欲しい。
その子供を、泣いててうるさいからって、泣くのをやめさせようとしたり、
今の自分がスッキリしたいからって、どっかに追い払おうとしたり、
正論で論破したり、
「我慢しなさい!」って ありのままの感覚にフタをしたり、
怒ったって仕方ないでしょう、
泣いたって何も変わらないよ、と言って
なだめようとも、説き伏せようとも、しない方が良い。
「癒そう」と、しない方が良い。
それで、ただ、無条件に、味方になってあげよう。
言いたい事、全部聞いてあげよう。
何でも言って良いし、どんな事を思ってても良いよ、あなたの気持ち全部教えて。
そうか、そうか、それは辛かったよね、って受け止めてあげる事。
泣いても良いし、怒っても良いし、暴れても良いよ、と
その小さな子供に自由をあげる事。傷を尊重する事。
そこに傷がある事には意味があるから。
もう2度と同じ思いをしたくないから、誰にも触られないようにそこに印があるのかもしれないから。
だから、ずっとそこに居て良いよ、と言ってあげて欲しい。
傷がある子供を変えようとせず、受け入れて、一緒に生きていくと決める事。
それが、癒そうとしないからこそ、癒されていく 心の旅の始まり。